言葉と実像の大小
故・高倉健さんのような寡黙なヒーロー像に憧れます。行動によって生まれた実績を声高に叫ぶことない、謙虚さの見本のようです。
翻って自身を見れば、時間の限り話し、少しでもよく見えるよう言葉を尽くし、受け取り手の印象を操作しようとする性質が大いに見受けられます。かような浅はかさに必要なのは言葉のダイエットではないかと思われます。このぶくぶく太った「言葉>実像」状態を、まずは「言葉=実像」にまで減肥できればと思うのですが、意図して寡黙にふるまったところで、それは良く見せようという虚飾の表れであり、さながら禅問答のように「悟りを得ようとすれば悟りを得ることはできない」状態にございます。
無意志のうちに「言葉<実像」が達成できたその時は、「自分は不器用ですから」と本当に渋く呟くことができるのではと思われます。(2016.02.09)
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