数年前のこと
棺に入った友人の姿は、それまで「本当は何かの間違いではないか?」と疑うおぼつかない認識をきっぱりと明確に〝死んだのだ”と上書きするもので「お金も時間も無理をしたが参列してよかった。納得のような何かの手がかりを得ることができた」と、こんな時でもコストを考えるのかと冷笑しつつ嘆息いたしました。日々の仕事や生活で忘れていた死がいずれ自分にも訪れることを思いながら、旅立った友人を送りました。
映画感想『92歳のパリジェンヌ』
「冬は気落ちするもの」という現象は、1年のうち残り9ヶ月は目を背けていられるものが、冬の3ヶ月は露わになるために起こるのかもしれません。尊厳死というテーマに惹かれたのは、普段は不断の努力で忘れていた死の輪郭に、冬のうちに触れておこうと試みたものと思われます。学ぼうが調べようが働こうが稼ごうが、誰もしたり顔では語れないこの話題をもう少し話そうか。できれば冬のうちに。(2017.02.14)
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