MOTHER-103話 あわれ

酔いと醒め
 「ドラマとは退屈な部分がカットされた人生だ」と映画監督アルフレッド・ヒッチコックは仰いました。自身が作るドラマというものへの警鐘のように思われます。事件と事件を隣り合わせて、過去未来に思いを遣り、因果関係を探るのは思考の展開に不可欠です。しかし無暗に事象をつなげすぎてしまうのは蒙昧を招くでしょう。
 声高に「この艱難辛苦はあの存在ためだ」だとか「この道は我々にとって必然だ」と叫び、意図的に強く因果をつなげるのは、陶酔のたぐい“酔い”にございます。自らの歩む道が特別に明るい(あるいは暗い)ものと信じるもまた酔い。現実的な生活においては、時に事実を事実のままに意味に縛らぬ“醒め”が必要なのだろうと自省いたします。
 できれば彼らの「退屈な部分」を描ければとも思いますが、本編を進めるのに尽力しておりますため、なにとぞお酔いの上お納めください。いつか、かけるといいなぁ。(2018.02.20)

1 個のコメント

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です