そのカロリーをつかまえて
友人の作品展を訪問した際、書道使いである友人が言うには「この字を書きあげるために数え切れないほど紙を使った」とのことでした。拙作はデジタル環境で制作していると忘れがちですが、彼らは品質向上に励むほどに、物質的に確実に紙も墨も消耗するのです。「本番用の紙は数枚しか用意できなかった。」さらに最終的に作品として使う紙は高価であるため経済的なコストとの折り合いをつけなければならないそうです。果たしてそうした何百枚の紙の山と妥協や懊悩の末に辿り着いた作品を、10枚の練習で軽く切り上げた作品群の中から見分けられるのか未だ疑問です。文化的教養に裏打ちされた審美眼は持ち合わせておりませんが、その試行錯誤を気づけるようにはありたいものです。
(2017.03.14 )
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